
サッカー指導について私の考え
学校では、美術科担当として絵や彫刻などを教えていたり、朝や放課後は美
術部の”超“個性的な部員たちと、絵を描くことを楽しんでいますが、個人的
にはサッカーの指導にはまっています!そこで、今回は美術のことでなく、サ
ッカーの指導について、日頃思っていることを書いてみたいと思います。(美
術のことはまた今度…)
生まれ持った「才能・サッカーセンス」という点で、日本のサッカー選手た
ちは、サッカー先進国の欧州や南米の選手たちに比べると、残念ながら何か足
りないなあ~と感じるときがあります。サッカー先進国の選手たちは、見てい
る私たちが「エー!」と思うような発想でボールを回し、難しいシュートを難
なく決めてしまいます。
もうだいぶ前のこと。日本のある指導者が、ブラジルに言って向こうの人に「このフェイントは、どういうふうに子供たちに教えたらいいか。」と質問したところ、ブラジルの指導者たちはびっくりして「そんなものは教えるものでなく、子供たちが自然に覚えるものです。」と答えたという話を聞いたことがあります。
子供の時代からやっている(遊んでいる)うちに、教えられなくても自然に感じ取ってしまうこと、どうしたら巧くなれるかを自分で考え、工夫できる創造性が大切なのだ。ということでしょう。
日本人は教えるのが好きで教えすぎだ。と、最近よく言われますが、一方的に教えて選手たちがみんなうまくなるのなら苦労はいりません。それこそ日本の熱意のある指導のもとで、全員がワールドクラスの選手になれるでしょう。
教えすぎは、選手たちの甘やかしになり、過保護になり、他人頼みになって、創造性の芽を摘んでしまうのです。コーチたちの熱意ある指導が残念ながら選手たちにとってマイナスにしか作用していません。サッカーで教えすぎると、子供たちは一つのことにとらわれ過ぎて、自由な発想や融通性がなくなります。監督、コーチの指示されたフォーメーションやスタイルにとらわれて、対戦相手の出方やその場その場に応じたプレーに臨機応変に対応することができないのです。
今、デザインや構想画などの美術の授業での発想段階で、先生は発想についてのヒントは生徒の前で提示しますが、そのあとは、生徒個人またそのグループのみんなとの話し合いに委ねます。昔は先生どうやるの?という生徒に対して、「こうやるといいよ。」とか「こうしてごらん。」といった指示をしていたこともありましたが、今は「何を作りたいのか。」「どういうテーマを表したいのか。」を確認させ、自ら工夫するような声がけを心掛けています。サッカーにたずさわるコーチのひとりとしても、美術と同じように、自ら考え、自ら工夫しながら、指示待ち人間でなく、自分の行動できる選手に成長していける場をエリセFCに求めていきたいと思います。美術のような芸術分野と同じように、創造力の豊かな選手の多いチームが私の理想のチームです。
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